オーストリア社会民主主義について
先日書いた近代中欧史のミニレポートより
マックスウェーバーは、第一次世界大戦後、民主主義が徹底していくと予言した。その言葉通り、オーストリア域内で社会民主主義が隆盛した。産業化が進み、ブルジョワ層ひいてはプロレタリアたちが力をつけてきていたことが、その振興を促したのである。1907年に貧富を問わない男子普通選挙が始まり、社会主義寄りの政治家の、議会に占める割合が上がっていった。
政治的民主主義の時代はブルジョワとプチブルジョワが実権を握っていたが、社会的民主主義の時代になると、プロレタリア層の政治に対しての影響力は増した。また政治家の方でも、労働者や農民といったプロレタリア層のための政治というスタンスがあった。
この社会民主主義に基づいて政治を行ったのがオーストリア社会民主党である。彼らは徹底的な社会主義国を目指したのではなく、ソ連や中華人民共和国の社会主義とはまた違ったかたちの社会を目指していた。ただし社会は理想通り動かず、最終的には挫折してしまう。
オーストリア共和国の国章について
先週書いたミニレポート、ここにも載せておきます。
第一次世界大戦後の1918年に制定された、オーストラリア共和国の国章には、鷲、トンカチ、鎌、王冠が描かれている。トンカチと鎌は、それぞれ労働者と農民を表現している。ソビエト連邦の国旗にも描かれ、社会主義の象徴でもある。王冠は大きな邸宅を意味し、ブルジョワを表現している。これは、労働者、農民とブルジョワ、プチブルジョワが共闘して国を動かしていこうという意思表示である。
これは、鷲、剣、玉、王冠が描かれていた1918年以前の国章と比べると、違う意味をなす。国家の主要人物が、王侯貴族から労働者やブルジョワに移り変わっていったことを示している。
現在のオーストリア共和国の国章には、1918年に制定された国章に加えて、ちぎれた鎖が描かれている。これは第二次世界大戦後に制定されたものである。ちぎれた鎖は、ファシズムから解放されて、自由になったことを主張している。1938年にナチスドイツに合併されて、そこから解放されたという経緯があっての表象である。
「君、変わってるね」について
私は時々「君って変わってるね」と言われることがある。
言われたその場では「へえ、そうなんだ」と思う。そしてなんとなく分かり合えてない感じがして、ちょっと悲しい。
だから後から考えた。「変わってる」って、どういうことよ。
そもそも私からしたら、私って変わってなんかない!
きっとね、「変わってる」いうのは、
自分が日頃付き合っている人たち、身の周りの人たちとは全然違う、ってことだ。
自分の日頃から感じている「当たり前」「普通」からズレている、ってことだ。
日頃暮らしている環境は、じわじわと自分の中の「当たり前」に侵食してくる。
もちろんそのベースは、子ども時代に置かれた環境(国、地域、家庭、学校とか)によって形成された「当たり前」なのだけれど。
自分にとっての当たり前と、相手にとっての当たり前、常に違って「当たり前」。
この人変わってるなあと思っても、それは彼女が変なのではなく、自分と彼女がとっても違う人間なだけなのです。